一部で報道された東海道ブルトレの廃止。
JR発表はまだですが、「ついに・・・」という感じです。
小さい頃、よく両親に連れられて浜松駅のホームで富士・出雲・あさかぜ1号・3号を見ました。国鉄時代には停車中に運転士が降りてきて運転席に座らせてくれることも・・・何度かあり覚えています。「このまま名古屋まで乗ってくか?」なんて言われて・・・・
当時、「さくら」「はやぶさ」「みずほ」は浜松は通過でしたよね?
釜は当然PFだったわけですが、出発の警笛を釜の前で聞くと耳が張り裂けそうに痛かったことも覚えてます。
初めて乗ったのは昭和55年の夏かな?3歳の時、「富士」に東京→浜松!でした。なにかの用事で家族で東京に出かけた帰りに父親がブルトレの切符を奮発して買って乗せてくれたそうです。
2回目は、昭和60年8月小学校3年の夏休み。忘れもしない日航機墜落事故の翌日に「あさかぜ3号」に(当時静岡に住んでいたので)静岡→小郡です。本当は九州旅行の予定でしたが、九州行きブルトレが満席だったので、下関行きの「あさかぜ」で山口観光になりました。このときには釜は66に変わっていて、今は貨物機の44号機が牽引してました。「あさかぜ3号」はカニ24以下すべて開放2段寝台のモノクラス。
でも初めてブルトレで一晩を過ごした旅でした。小郡からは、SL山口で津和野へ。こちらも当然青い12系時代。そのあと、急行「さんべ」や山陰線の50系客レに乗ったのは今でも覚えてます。
3回目は青函トンネルが開通した昭和63年夏。初めての北海道家族旅行で、北斗星なんか人気で取れず・・・上野から「あけぼの」で青森まで。これまたB寝台開放です。編成はカニ24+開放オロネ+開放B。白帯の車体でした。当然当時は東北・奥羽経由で板屋峠を越えてました。黒磯、福島、米沢と釜交換の度にホームに降りていたので寝不足でした。初めて見る赤い交流機関車が新鮮でした。
上野では隣のホームに急行「おが」が止まってたし、モトトレイン併結の「八甲田」も走ってました。翌朝、青森には「八甲田」と同時入線!さらに、乗り継いだ快速「海峡」は八甲田編成の間合い運用の14系でオハネ14とモトトレインが併結されてました。
4回目は平成2年夏。中学2年の時。家族旅行で「あさかぜ1号」のカルテットで浜松→博多です。この頃には全車金帯の車両でした。個室だったけど外から閉めれる鍵はなかったですね。初めての個室寝台です。翌朝、食堂車で朝食。これもいい思い出です。
高校に入ると自転車通学中に、高架橋を行く「みずほ」を毎日見てました。時々雪などで列車が遅れると違うブルトレが通ったりして・・・。通学中の楽しみでした。
5回目は平成4年夏。高校1年の夏休みでした。弟と2人で北海道ワイド周遊券を使って北海道旅行の際に選んだのは、上野から青森まで「鳥海」のA寝台開放でした。すでに九州ブルトレには無い車両だったので乗ってみました。夜が明けた時に窓一杯に広がる日本海に上る太陽が印象的でした。
そして、この旅行中にはキハ400併結の急行「利尻」まだ14系だった「まりも」のB寝台にも乗ってます。更にその帰りは・・・・ブルトレ5回目、札幌から上野まで北斗星4号のデュエットに乗車。この切符を取ってくれた旅行会社の人も取れたことにびっくりしてました。
6回目は平成5年の春。家族旅行で九州へ行ったのですが、父親の仕事の都合で弟と2人で先に九州入りするため、「あかつき」のソロに乗って京都→博多で乗車。すでにJR全線走破を決めていたので先に九州入りして乗りつぶしました。
7回目はこの九州旅行の帰り、一家で「はやぶさ」のB寝台開放に博多→浜松で乗車。当初ブルトレが満席で「のぞみ」で帰る予定でしたが、最終日に博多駅で聞いたらちょうど1BOXのキャンセルが・・・。これが初めての憧れの九州ロビーカー乗車でした。食堂車も売店として営業になっていました。
この翌年末、「みずほ」と「あさかぜ1・4号」(博多行き)が廃止になり、「え!?ブルトレなのに廃止になっちゃうの?」と衝撃を受けました。
8回目は大学入試に失敗し浪人を決めた平成7年春。高校の卒業式の帰りに浜松駅で聞いたら「トワイライトEXP」のシングルツインに空席があったので京都→札幌で乗車。北海道内も現地調達の「北海道グリーン用フリーパス」で北海道乗りつぶしでした。
この時も、急行「利尻」のハネに乗ったし、快速「ミッドナイト」なんてのにも乗ったなぁ~。帰りはスカイメイト割引でANA便で帰ってきたっけ。
9回目と10回目は浪人生活が終わり、国立前期日程が終わった平成8年2月。すでに東京の某有名私立大学への滑り止めが合格してたので国立の発表を待たずに旅立ちました。
東北の乗りつぶしのため上野~青森を往復「あけぼの」のソロでした。帰りは東能代から乗ったんだったかな??あけぼのは東北~陸羽~奥羽経由となっており、往復ともDE10重連への交換を見物しました。東北本線はまだED75又はEF81+50系が普通列車で走っていました。南部縦貫鉄道も現役だったし、特急「たざわ」、583系「はつかり」にも乗りました。
この頃にはもう当日でも普通にソロが取れてしまうほどに衰退していたんですね。
11回目は旅行ではありませんでした。国立前期がまさかの敗退・・・。後期日程を受験するため鳥取へ。しかし、宿はすでに満室。やむなく、「出雲1号」のB開放で浜松→鳥取に乗車。現地朝着で向かったのです。受験と言っても数学1教科のみでしたから、午前中に終わり。ミニ周遊券で行ったので、急行砂丘に乗って岡山経由で帰ってきました。
12回目は下宿を探したり入学手続きのために両親と鳥取まで行くことになり「出雲3号」の開放B寝台で浜松→鳥取に乗車。
このあと、浜松→鳥取間は何回も「出雲1・3号」に乗車。ただし上り便は浜松運転停車だったので利用できず、いつも「だいせん」&新幹線でした。この頃、2往復あった出雲は意外と乗車率が高く、当日や前日では満席でベッドが取れずに、授業があるときなんて急いで「ひかり」&「だいせん」で帰ったもんです。乗車率が高くて上段しか取れなかったなんてことも多々ありました。
1998年夏にはサンライズEXPが登場。それ以降は、「サンライズ出雲」の「のびのび」から鳥取ライナー乗り換えというパターンが増えました。
やっぱり一番多く乗ったのは「出雲」ですね。
ただし、出雲はたくさん乗ってたので何回乗ったか記録がありません。
あとは・・・
就職した2000年10月。東京に長期出張してたので思いつきで「北海道ぐるりフリーパス」を買って、金曜夜の「はくつる81号」に飛び乗って北海道弾丸ツアーをしました。これは583系で、みどりの窓口調べで、東北ブルトレで唯一の空席!3段ベットの上段でした。狭かったなぁ~
2001年GW、札幌→大阪で「トワイライトEXP」のシングルツイン。
2002年7月、「あさかぜ」のB寝台で浜松→下関
2003年5月、「さくら」のソロで浜松→博多
2003年12月、「さくら」のソロで浜松→小倉
2004年12月、「さくら」のソロで浜松→長崎。この旅行の直前に「さくら」の廃止が報道されました。嫁は初めての寝台特急でした。
2005年GWには嫁と北海道旅行、奇跡的に取れたカシオペアの「カシオペアツイン」で札幌→上野に乗車。
2006年7月、「はやぶさ」のソロで浜松→小倉。
2006年11月には会社の旅行で、「北斗星4号」のツインDXで札幌→上野。
2007年10月には嫁が妊娠してたので「はやぶさ」のB寝台開放の端っこの2人席で浜松→小倉。
そして先日の会社旅行で2008年9月、「はやぶさ」のB寝台に団体乗車券で浜松→熊本。
こう見ると我ながら、たくさん乗ったなぁ~と思います。やっぱり九州ブルトレが多いですね。
廃止まであと半年もありません。九州ブルートレインにあと何回乗れるのか??最後にもう一回は乗りたい!できれば息子も連れて・・・・。
乗るのも撮るのも悔いの無い半年にしたいと思います。
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